助詞:「ということだ」と「というわけだ」と「というものだ」の使い分け





「ということだ」は他人の話しや思いを推測して述べる時、
または自分が主観的に判断したことを述べる時に使いています。

「というわけだ」は他人にある物事を説明や解釈する時に使いています。
「というものだ」は自分が確信した、ある社会常識を説明する時に使いています。


例ー:事故の原因は現在調査中です。  
つまり、事故の原因はまだわからないということですか?

例二:「なぜそう考えるの?」と問われるよりも「どうやってそう考えるに至ったの?」
と問われた方が人は答えやすいということだ。


例一は他人の話しや思いを推測する述べ、例二は自分が主観的に判断する述べだと思います。


例三:芸とは、美しいと感じることなのだ。
美しいと感じなければ、芸といえないのだ。
感性がなければ、美しいと感じることが出来ない。
即ち、文芸(小説)には、文が表現出来ることは当然なのだが、
それと共に感性が大切だというわけだ。


「芸」<--「美」<-- 「感性」
だから、「感性」は文芸の根本にとしてとても大切な存在だと推論します。


例四:彼にその仕事を頼むのは、無理な注文というものだ。


例四は、みんなにも納得できるような社会常識を話して、みんなを説服します。

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